Ninhursag Ninḫursaĝ

生きづらさの処方箋

無味無痛人間



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無味無痛人間 ninhursag


ご近所とのあいさつが面倒で煩わしい。できることなら顔を合わせたくもないし、いやむしろ気配さえ消してしまいたいぐらいである。


とりわけゴミ出しの日は憂鬱でしかたない。ゴミ袋を置きに来ただけなのに、誰かと出くわせば「おはようございます〜♪今日は良いお天気ですね♡」などと無意味な笑顔をつくらなければならないからだ。


時には運悪くヽヽヽ世間話に花が咲いてしまう。芸能人の不倫話から夫の悪口、町内の嫉妬話まで。朝も早くから貴重な時間と生きる士気を存分に削がれてしまう。まったくいただけない。


だから已むなく、誰もいないタイミングを見計らって「いまだ!」とばかりにソソクサと置いて逃げる。面倒を避けるためには、やむを得ない手段を講じているわけだ。


日常生活に支障がなければ、あらゆる物事の関わりから逃れたい。たとえそれが味気なかろうと不自由であろうとも、自分としては対人の煩わしさから解放されるのなら、それで一向に構わないのである。


おそらく世の少なからずは、同じような本音を抱いていることだろう。このように世間の心は個々散り散りに霧散し、社会のなかの自分と、その自分を取りまくヒトさまの体温に思いを馳せる行為でさえも困難になってきた時代。いわゆるコミュ力というものの瓦解は、もはや相当程度までに進んでいるに違いない。


例えばアマゾンやメルカリなどの通販にしても匿名発送があたりまえとなり「ひと to ひと」の概念はほぼ消滅しつつある。そのことからしても、こうした歪な本音を垣間見ることができるのではないだろうか。


あるいは街へ買い物に出掛けたところで、売り手の味気ない対応と買い手の横柄な態度も、やはりそういった本音が露わに滲み出ている気がする。「お客様に感謝」とか体よく謳っておきながら、さてどうだろうか。セルフ注文に然り、セルフレジに然り。それで感謝の欠片でもあるというのなら、是非ともその片鱗を示してもらいたいものだ。もっとも客側にしても、有機的に粘ついたサービスなんて求めていないわけだが。


こうした孤立無援の生活を選択しながら人生を浮遊するボクたちは、主体性という本能をいつのまにか溶解させてしまった。何につけても、スマホを片手にFAQと口コミ情報の後押しなくしては動機付けが働かない。自分の昼メシですらも、「おすすめ」が提示されていなければ困惑してしまうありさまである。


「売り上げNo. 1」の耳打ちにホイホイと刺激され、ミンナが好きだとされる店へ並び、ミンナが好きだとされる服を着て、ミンナが好きだとされるスイーツでインスタ映えといった具合。ミンナが好きなものは自分も好きであるに違いないと化かされるヽヽヽヽヽ


しかしながら意にそぐわない事態となれば、堰を切ったように癇癪を吐き散らし、手加減のないクレームや誹謗中傷を躊躇なく浴びせる世知辛さ。自分が勝手に化かされているのにもかかわらず、それを棚上げにしておいて、悪いのは「ミンナ」であると駄々をこねる始末。


情報化はボクたちの生活をのべつに呑みこんでいる。朝起きて夜寝るまでの四六時中、いやむしろ夢の中でさえも容赦することのない津波。そしてボクたちは主体性を奪われ、心の温もりを剥がされ、びしょ濡れになった低体温のままに大海へと放り出されて遭難するのだ。


なるほど街中を見渡せば、白か黒でしか棲み分けを許されないものばかり。無機質なビルとマンションと道路と駅とを往き交う無味無痛な遭難者。オフィスでも店舗でも学校でも町内会でも「モデルケース」だけを躍起になって漁りながら、ミンナやってるから教ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽを盲信するありさまは、まるで陳腐なコメディ。


とりわけ昨今ではマスクマスクの大行進。もはや皮膚と同化したとも視える不可思議な光景には、コメディをとおり越してむしろ悪寒すら抱いてしまうほどである。これはまさに主体性の欠けた没個性な現代社会の縮図そのもの。そしてこれが不可逆的な哀しき将来の写し鏡だとも視えてくるのだからますます怖い。


幼い子供たちは、他者の表情から喜怒哀楽やコミュニケーションを学ぶという。それならば、彼らたちの発達においてマスクという罰ゲームヽヽヽヽが相当程度に悪性な副作用を予見させることは、およそ想像に難くはないだろう。


こうしたマスク幼少期をなぞり上げてゆくミスリードは、現代の虚無に満ちた二律背反的なモノトーン社会の最前線に、さらなる支援部隊を送り込むことを意味するのではないか。


ブリキ男君 …
キミは心を欲しがっているが、
心を持たないことが
どれだけ幸運かをキミは分かってない
壊れないほど頑丈になればいいのだよ
〜 『オズの大魔法使い』


ボクたちはみんなブリキ男なのだ。その特徴といえば、とにかく想像力貧乏であるということ。そんな思想が闊歩する「無味無痛な鈍感生活」への侵蝕は、いまや腰丈ほどにまで進んでいる感は否めない。この無慈悲な歯車に抗う手立ては、いよいよもって絶望的な趨勢となってきた。


なるほど既に今現在であってさえ、相当程度にまで無機質な社会ではあるけれど、もうこれで心の温もりたる有機的な人類そのものが、歴史の遺物として完全に片隅へと追いやられてゆく未来予想は決して大袈裟な話ではないのかもしれない。そんなドライな終末世界が加速度的に近づいている焦燥感を、ボクはいま拭い去ることができないでいる。


_ ねぇ、ブリキ男さん。
どうして下ばかり見て歩くの?
_ 小さな虫を踏み潰してしまうからさ …
温かい心を持つ人々にとっては、
こんなこと普通にできることだろ?
けれどもボクにはそれができない。
だから怖いんだ …

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