Ninhursag Ninḫursaĝ

生きづらさの処方箋

剥がれないのだよ



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剥がれないのだよ ninhursag


ボクは色・受・想・行・識でしかない
この五蘊に浸かる我でも吾でもない者


五蘊は互いに影響を受けあい与えあい
湧いては消える泡のごとく移ろいゆく


それはいつも漂い流れて刹那に消える
五蘊が織り重なる幻象色の不可思議さ


たとえば一秒前の「ボク」は別モノで
一秒後の「ボク」だってやっぱり異物


実態さえもない霞のようなボクなのに
けれどあたかも固有物であるかのよう


その固有物は意志を露わに叫び求める
アレが欲しいコレが嫌いと我欲が騒ぐ


こんな一陰一瞬の相続が積みあがる垢
連綿と延べ広がるカオスなガラクタ山


それで遂にはタマシイが宿るとかいう
死んだ身からタマシイが抜るとかいう
そんなもの無記で片付けても構わない


けれど敢えて無記に添え木を設るなら
タマシイとは自我というのアダ名の澱
澱が溜まればシコリの山は頑なに重い


例えば大切な誰かが自死の賽を振った
残された者たちが想うところといえば
「成仏しているだろうか」と嘆き案じ
「苦しんでいないだろうか」と哀れむ


亡き相手を深く案ずる想い
成仏だとか祟りだとかいう


こんな憂いが晴れぬ執着は
この世に残された者の試練


身が滅したとて記憶を纏い
心中を鎮めあぐねるばかり


死者の魂が迷うなどなくて
未練で浮遊することもない


ただこの世に残った者の澱
やるせない意識のざわつき
死者への想いや哀惜の拘り
鎮まらない心中の散らかり


己の迷いを霊や魂などと便法にあてがい
その逝く先の前途を願うなどと方便する
やがて気持ちの鎮めかたが解けたのなら
それでようやく憂いも晴れるというもの


天に召されたと一息ついて
それが即ち鎮魂であり成仏
亡き者の成仏などではなく
むしろ残された者への成仏


つまり葬儀や供養などとは
己の散らかりを調える儀式
供に養うことに引きつけて
死者とともに智慧を養って
功徳を養って想いを込める


葬儀は「津送儀」とも特筆されるけれど、それはまさに舟出を見送るという意味。死とは悟りヘの航海なのだろう。大海を渡る舟の躯体は頑丈なほうがいい。その性能を左右するのは故人が生前に培ってきたいわゆるヽヽヽヽカルマということになるわけで。


例えば清らかな善きカルマで設えた舟ならば多少の嵐や日照があろうとも速やかに涅槃へ向かうといわれる。しかし悪しきカルマのそれは、航路も定まらず彷徨い漂い遂には嵐に沈んでしまうかもしれない。


この世に残る者たちが、せめてしてやれることとすればただ一つ。供養を手向けることしかないわけで、旅の安全を願い送り出してやる。つまりは憂う自分の心ヽヽヽヽを鎮めることに他ならないのだろう。


そもそも自己は自己の五蘊しか相手にすることができない。魂とはどこまでも自己の内側での想念でしかなく、そこから逸するものではないのだから、敢えて魂を表現するとなれば「心のシコリ」「自己の作用」といったところになるのだろう。


そういった意味では、およそ人間とはタマシイとやらに振りまわされながら生きていると言っていいのかもしれない。そんな嘆き多きボクたち凡夫に対して昔の偉人はこう諭すのだ。


「それは、あなたの中の他者に対する自らの意識でしかない。すべてを手放し無私になりなさい。」


自己をわするるというは
万法に証せらるるなり
万法に証せらるるというは
自己の心身および他己の心身をして
脱落せしむるなり
正法眼蔵


「無私」は
私心・我利・我欲・エゴを剥がし
「無私」は
物事の真理を知る心眼を開かせ
「無私」は
一念の発作を見抜く境地へと達する


無私とはプレーンでニュートラルな境地に立ち、想念に振りまわされそうになる己を透かし観るのだという。これをすなわち五蘊皆空と表現するのだろうか。


重ね記せば、タマシイという意味のない論を立てる必要はやっぱりないのだろう。そんなことよりも目の前にある今ここに没頭する。善き行いを積んで、善き因果の流れに乗って、善き赴きへと向かうことこそ進むべき人生航路であると。


こんな独りぼっちな航海だけど
頼もしい丸木舟なんだ
浮世で積んだカルマが
ようやく設えてくれた体躯だ


寂しくもないし
不安になることもない
この地図と羅針盤のおかげさ


不思議なもんだ
浮世に残したカネや名誉
家族や友人の想い出
そんな拘りから
すっかり解かれて清々しい


それにしても海風は気まぐれだ
温情もなければ偏見もない
善悪もなければ義務権利すらも


だが たとえ
東へ吹こうが 西へなびこうが
ボクは一向に構わない
舵を調えればよいだけのことだ


幸せに晴れようが
不幸せに曇ろうが
この大海原が描いたとおりにしか
航路は敷かれてゆかないのだから


どちらにしても取り返しがきかない
「また今度」でもなければ
「いつかまた」でもない
この一瞬一瞬は「今」でしかない


そんな「今」という波、波、波、、
一切の容赦や海容のない大海原で
このキホーテから剥がれないのは
やっぱり色・受・想・行・識なんだ

Ω 𒀭𒎏𒄯𒊕 _