Ninhursag Ninḫursaĝ

生きづらさの処方箋

軽薄な詭弁と薄情な便乗者



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軽薄な詭弁と薄情な便乗者


いつの頃からだろう…
心ある人たちが被災地へと駆けよる光景はもう当たりまえのようになってきた。


彼らの存在は被災地にとって計り知れないほど頼もしいに違いない。しかも今や政府までもがボランティアを当てにして乗っかるありさまである。


いや… なにかおかしい。


被災者救護という'国民を守る義務'を丸投げにした国家と役人。一見マイルドな口調で思いやる素振りでいても、本音のところでは被災者の苦しみなど微塵ほども気に留めてなどいない。


事務的で偽善的な彼らにとっては他人の痛痒などまるで興味のない話である。唯一の動機付けといえば、有給有償を与えられて仕方なく腰をもたげる程度のことなのだ。


またマスコミやコメンテータにしても似たようなものである。'情報の正確性を担保する立場'であるはずのものが現実にはそうじゃない。彼らもまた何らかのウマいバーターによって歪にバイアスがかけられたクチ。


クルクルと長いものに巻かれるという傀儡ぶりで、偏向的なふるまいを全速力で発揮しながら軽薄で無責任で迷惑なゴミ情報をつらつらと垂れ流す。


国は民を守り、民は國體を支える_


この謳い文句をまるでなかったのごとく蓋をする旗振り役とスピーカー。世論を抑えて知らぬ存ぜぬで火の粉を振り払い、危うきには絶対的に近寄らない。むしろ出世ライバルに緊急業務をなすりつけ、あわよくば自分だけが漁夫の利を拾おうとほくそ笑む下衆なものまでいるのだから隅におけない。


そんな彼らのことを「悪意ある惨事便乗者」とボクは感情にまかせて唾棄してしまうのだが、こんな毒舌を漏らしたとて、きっとお天道様も穏便に許してくれるに違いないと思うのだ。


「直ちに命を守る最善の行動をとってください …」


そうやって今日もまた軽薄な政治屋と評論屋と報道屋は災害映像をリピートしながら、無責任で無感情な悪臭を撒き散らすのに夢中なのだ。むやみに危機を煽り、むやみに国民感情を焚きつけ、そのくせ自分たちだけは安全な対岸から涼しげに詭弁を吐いては高みの見物で正義のツラを被る。


そしてこんな悪政と悪態に気づかぬウツケた国民もまた然りである。早速ボクたちの先頭には「絆」という陳腐極まる小手先のペナントがあてがわれ、まるで大層なスローガンよろしくテレビもラジオも新聞も一斉に合唱し、そのポエムヽヽヽに踊らされた大衆は手を叩いてインスタントな正義感で歓喜する表六玉なのだ。


そうやって惨事便乗の寄生虫は巧みに世論を手玉に取って触手を蔓延らせ、ボクたち阿保の精気はまんまと吸い尽くされながらボロい商売の養分とされていくのである。この美しくないオポチュニズムな日本の何という為体さ。それはまるで無知なイワシの群れを囲う姑息なイルカの狩り手法さながらである。


とても情けないことなのだが、そうやって処を変え品を変えながらイワシを追い込み一網打尽に網をかけて'惨事便乗ビジネス'は肥え太ってきたのだ。このヤクザな稼業の食いブチといえば、今や世界80億にも及ぶボクら大衆という圧倒的多数の雑魚なのだから、それはさぞかし笑いが止まらないことだろう。


ボクたちは無能な雑魚としてカンタンに生まれ、そしてカンタンに死んでゆく。この虚しさはいったい何だろうか。もてあそばれ虐げられるためだけヽヽに積まれた犠牲の山々。つまりこれが人類の歴史そのものなのである。


自然災害ではないヽヽヽヽこの惨事に対峙しながら、いま目の前に映る悲惨で暗澹たるガレ山の現実をボクはいったいどうやって咀嚼すればよいのだろうか。


そしてやがてこの祭りヽヽも程なくしてほとぼりが冷めて静まり、ガレ山の悲しみも大惨事の記憶とともに世間から忘れ去られるのは、これまでの歴史からしても自明のことなのだ。この当てどころもない怒りと掴みようもない遣る瀬なさに、消化不良をきたした感情のヤニがボクの心にベッタリと纏わりついて離れない。


それでも …それでも

ボクたち雑魚だって
この地球に住まう民なんだよ
2011年3月11日14時46分

Ω 𒀭𒎏𒄯𒊕 _