Ninhursag Ninḫursaĝ

生きづらさの処方箋

せつないプログラム



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せつないプログラム Ninhursag Ninḫursaĝ


'いま'という現実の捉えかた
'いま'という現実との間合い


いま まさに対峙してる この現実風景
それは わたしの眼球をすり抜け
それを わたしの脳裏が抱え込み
それで わたしの思考が処理をする


けれども その弾き出された電算結果は
いつだって どんよりと澱んでる
しない できない  変えられない
そんな理屈で自らを武装するのだから
もう どうしたって身動きがとれやしない


念い願うことが そのとおりになる
実現しやすいひと そうではないひと
この乖離がいよいよ顕著になってきた昨今
それは あながち 気のせいではなさそう

けれども依然として
願ったり叶ったりの幸せもあれば
願ってもない不幸も湧いてくる
それもこれも すべてが思考の現実化
思い 想って 念おうが
憶うも 懐うも 同じこと
'おもう'意識はどれも潜在的な台本
想念はポジティブもネガティブも
どっちだって現実化してしまうのだから


価値観 常識 知識 理性
それは人生という洞窟で灯された幻影
世知辛い社会をやり過ごすための松明
偽善的な現像に刷り込まれた犠牲者


'わたし'は
生まれもつ能力を 暗幕で覆いかくし
物事の本質を 暗闇に閉じ込め
都合良く照らされた影絵しか見ようとせず
本質と現象の見分けかたも忘れてしまった


仮に洞窟の影絵を現実世界とするならば
外の広大な青空は潜在的な意識世界
けれどもその意識世界こそが むしろ真実

目の前の現象が必ずしも真実とは限らない
けれども洞窟社会で真実は不適合をきたし
視野狭窄者たちからの唾が飛んでくる
気になるハネ毛を始末したい大衆がいて
大衆を一律に切り整えたい社会がある
そんな社会に抗ってみせるから真実は死ぬ


いまある風景は一つ
それなのに それぞれの想念によって
世界の見えかたがまるで違う


例えば 性悪説に埋没しているひと
自分以外の他者は 悪人だと決めてかかる
たとえ善人を目の当たりにしても
不信感でべったりと塗り潰すのだから
そこには棘棘しい景色が設えられる


例えば 性善説に埋没しているひと
世の中は みな善人でできてると思いこみ
ともすれば 騙されドロ啜り役ではあれど
そこには穏やかな景色が設えられる


いとしい男には
あんな長所 こんな優しさがある
… と アナタが信じて疑わないのは
ひとえに想像力のなせるわざである


視座が変われば 景色も変わる
世にある全てに 善し悪しなどないわけで
世にある全ては 中庸に収斂し中道を導く
軽い道は 宇宙へと解放されるが
重い道は 物理地球へと拘束されるのだ


念い願って そのとおりになることに
実現しやすいも し難いもないのだ
ポジティブ思考なら 善きほうへと
ネガティブ思考なら 悪しきほうへと
つまり すべては漏れなく現実化している


そこには いわゆる二極化の副作用を孕む
二極化は相容れない者同士の溝を裂く
たとえ あなたの愛しい彼氏であっても
たとえ わたしの大切な家族であっても
互いの想念が相容れないのなら
やがて離れてしまう運命なのかもしれない
つまり 宇宙の摂理とは そういうこと
人間社会のルールなんてお構いナシである


ところが ここ物理地球は執拗に拘束する
粘着質な濁流が障り すこぶる泳ぎつらい
親子の拘り
兄弟の拘り
恋人の拘り
友人の拘り
上司部下の拘り
人間としての拘り
人々は共感ゲームに夢中なのだ
仲良し主義に酔いしれて
「家族は愛しあい信頼しあうベキである」
そんな連れション文化を信奉する始末

もちろんそんな社会でも一向に構わない
ただ願わくは'皆と違う'異物を認めて
それで そっとしておいてほしいのだ
理解してるフリは要らない
期待してるフリも要らない
温かく見守るフリも要らない
いつもやさしいフリの'ヤサシサ妖怪'
ヤツは わたしを破滅へと陥れてくるのだ


わたしは自分を救わねばならない
だから わたしは自己中心主義に邁進する
そして自分の人生を生きることに決めた
他人軸で生きるつもりはないし
偽善に塗れたオモイヤリなんて捨てる
もちろん少しだけ寂しくて辛いけれど
そうしなければわたしは生きていかれない


この洞窟社会ではきっと相当な悪人だろう
それでもわたしは濁流を降らねばならない
わたしは'自分らしさ'を生きるのだ

いまこの星に生まれ堕ちて
こうして肢体をまとい
こうして命を営んでる
この人生とは まるで
ハードなラフティングのよう
ならば いっそ
このスリルを楽しまない手はないのだ


宇宙の摂理
ドライで残酷なふるまいをするもの
やがては愛しいあの人との別れが待つ
周波数が異なれば同調することは難しい
せせらぎと濁流とでは 相容れぬレイヤー


だからこそ ここ地球の濁流ツアーは
切ないプログラムなのかもしれない

Ω 𒀭𒎏𒄯𒊕 _