Ninhursag Ninḫursaĝ

生きづらさの処方箋

やじろべゑ



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やじろべゑ Ninhursag Ninḫursaĝ


苦しいこと辛いこと _ 人生には色々あるけれど、とどのつまりボクらは何をもって幸せとよべるのだろう。


「アレしたい、コレほしい、モット欲しい」欲望が満たされるならばきっとその先には幸せがあるに違いない_そうやって取りつかれたように独り言を唱えながら、ボクらは永遠に追いつけぬであろう欲望という幻を追いかけ、幸せという楽園を夢見て一心につき走るのだ。


地位や名誉を求めてさまよい或いはカネや「いいね!」という執着に揉みくちゃにされながら、まるでどうでもいいパンくずを拾いあつめるかのように虚無に満ちた白昼夢に耽っては命を消耗させる。


それなのにボクらはこの風狂めいた乱痴気を疑いもせず、その罪に気づくことも想像することも戒めることもないまま、ただ無闇にかつ無防備にそして着々とこの大切な寿命をスライスしては虚しきドブへと捨ているのだ。


これから先も決して尽きないであろう生臭い欲望に心を絡みとられ、お隣さまと引けを取らぬ'ユタカなクラシ'を求める。半ば常軌を逸したように「それが人生の目標ナノデアル」などと息も絶え絶えに念仏を唱えながらこのまま死んでゆくのだろうか。


人間という輩は自我を覚えてしまった。それゆえに執着という悪魔の囁きに容易くそそのかされてしまう。だからこそ、その後の生涯はずっと五欲三毒と挫折悔恨の苦しみにうなされ続けるのだ。


そもそも欲というやつは他者と衝突し奪いあう宿命にあるのだから、きっとそれほど遠くない先には敗北と挫折に伏す帰結を知るのは自明なことだ。ただ偶には、それでもなんとか挫折を乗りこえ回生をなしとげたりして、ようやくめでたく悦に浸る恩恵に与ることもあるかもしれない。しかしそれも一ときの閃きでしかなく、一夜の虚のように果たしてすぐさま退屈という病に苛まれてしまうのだ。退屈は新たなる欲望を求めて疼きはじめ、その渇望は激しい禁断症状と化して脳内で沸々と騒ぎたてる。


そうやって堪能と渇望の焼きまわしをイヤというほど味わいながら、それでもなお性懲りもなく辛酸を舐め散らかす。この執着という厄介者のおかげで、今やボクらの臓腑の大半はもう随分とボロボロに爛れさせられているに違いない。


欲望と退屈と懐疑心と罪悪感とのはざまで他者を踏まねば自分が踏まれてしまうだろうこの娑婆世界。ボクらは今にも溢れそうなコップのように一滴たりとも心許されない表面張力に露命をつないでいる。爛れた痛みに気が遠のきそうになりながら、それでもなお必死に堪えてギリギリのところでバランスしている弥次郎兵衛なのだ。


この激烈な渦中でこんな苦々しい綱渡りをさせられ、目眩しそうなほどの物欲とディレンマに足を踏みはずしそうになりながら、生涯にわたって執着という激流と暴風の試練に晒されるボロ雑巾。欲望から快楽へ _ 快楽から幸福へ_そして挫折へと打ちひしがれる日々。こんなのっぴきならない臆見に右へ左へゆらゆらと捻られる弥次郎兵衛。


これはもはや禁断症状と幻覚に狂おう薬物に依存した不安罹患者なのかもしれない。いやいやそれでも明日あさっての目先を生き抜くためには、地位や名誉やカネと薄っぺらな「いいね!」という’ドラッグ’なくしては今にも狂気錯乱の渦に呑まれてしまうじゃないか。それほどまでにこの現実世界というやつは粘着質で世知辛いのだからホントに悩ましいかぎりだ。


この煩悩が噴き溢れる生涯は、自分や家族のために或いは友人や仲間のために日夜ガンバって懲役に服さねばならない。そんな牢獄システムに残念ながらまんまと嵌められているボクらは、職場でも家庭でも町内でもそして小中学校や幼稚園でさえも苦役にムチ打たれ比較競争の十字架を背負い枷を引きずり、いやむしろ欲望争奪レースの共犯者として罪を上塗りしながらも人生という真っ暗な独房で不安と自傷の痛みに悶え喘ぐのだ。


地位や名誉やカネの争奪戦から転げ堕ちる不安。雨風しのぐ屋根を失う不安。明日のメシもままならなくなる不安。いつだって落伍者としての焼印で焦がされるような危機感がつきまとい、もしもこの中でヘタをうとうものなら一生涯の失態であるとばかりに怖気ながら頭を抱えて項垂れてしまう。


そしてもし緊張のクビキが少しでも緩むことがあるならば、多分きっとおおよその誰しもが不安妖怪の阿漕な罠に伏してしまうだろう。身も心もすっかりポンコツになって自暴自棄の淵に堕ち、或いは自己暗示に苛まれた魂は社会不適応行きの亡霊列車へと自ら乗り込んでゆく。


ボクらはこうやって一義的な'人生テンプレート'に嵌まり込み、この牢獄暮らしだけが人生の全てであるかのごとく決めつける。けれどもその執着牢獄の外側には、まったく別の価値観で展開する世界もある。そんなものは星の数ほどあるというのに気がつかない。十人居れば十通りの価値観と幸せがあったっていい… それなのにもかかわらず暗い牢獄で不安に病むボロボロの弥次郎兵衛は、そんなことには一切として目もくれないのだ。


世間が羨ましがる名誉も財もなく、ただただ自分が自分であるだけで満ち足りているならば、穏やかな大安心で満たされる_そんな世界観もある。質素ではあるがしかし心は満たされているという価値を優先するならば、その世界では質朴とした穏やかな営みこそが最善であってそして幸せなのだ。


湧きやむることのない物欲に絡まれ
まるで海水を呑めばのむほどに
その渇きは癒える気配すらない


執拗に絡まった執着の導火線は
きっと灼熱で炙られだ苦海へとつながる
苛烈な火炎に巻かれながら
うつけた煩悩が正気を遠ざけてゆき
正気を失くした虚ろな眼は
焼けただれた人生をなぞる


あぁなんて虚しいんだろう
ならば いっそ
どんなに恵まれない因縁ずくであっても
心優しく穏やかであり続けるほうがいい


だから ほんの一刹那でもいい
ボクの想念よ どうか清浄であれ
こんな烈火な人生ですら
きっと やがては
清涼な池になるのかもしれないから


もし 幸せで心が満たされているのなら
粗末な布団にだって 質素な食事にだって
人生はこの上なく豊かに感じるだろう


確かに 幸福というものは
そう簡単に得られるわけではないけれど
感謝を怠らなければ
念いには拓かれると信じたい


そしてまた それは
哀しみの場合にだって同じこと
なかなか避けられるものではないけれど
心を馳せながら ひとを敬えば
きっと 不幸を遠避けるものだと信じたい


こどもが産まれる
そんな めでたいときにでさえ
母体は危険にさらされることだってある
あるいはまた時には
思わぬ大金を手にして 驕り高ぶれば
身の代は潰れてしまうかもしれない


悲しみだけが 福を引くのではなく
喜びもまた鬼を寄せる種子になるのだ
そう、幸せと不幸せはウラオモテ
幸せに振れたなら
それと同じ反対にだけ 不幸せにも振れる


だから人生なんて やじろべゑ
幸不幸の端境など
しょせんは 想念の綱わたり
振り子が やがて静かにおさまるころ
その中庸な心性には
きっと大安心が洗いだされてくるだろう


この大安心 一つだけ
たったこれだけを抱きしめたなら
もう迷うことなど ないわけで


やっと そうして初めて
緊張の糸を緩めることを
ボクらは 許されるのかもしれない


人生の道行き交うなかで
その出発点に何を負債していようとも
またどんな出来事が襲ってこようとも
あるいは他者にどう卑下されようとも
それをどう感じ受け容れるかは
そのひとの内的な幸せによるのだろう


ボクらが考えることなど取るに足らず
「アレさえ手に入れば」
「コレに認めてもらえたら」
「ソレさえなければ」
幸せになれる_などと


けれどもたとえ
アレが手に入ろうと
コレに認められようと
ソレがあろうとも
内的に貧しい者は不安病の慢性患者


利欲に熾然ならば 即ち是れ火坑なり
貪愛に沈溺せば 便ち苦海と為る
一念清浄ならば 列焔も池と成り
一念警覚を覚せば 船も彼岸に登る


欲望が燃え盛ればそこはまさに取った取られたの焦熱地獄なのだから、愛着に没入てしまえば救いようのない苦界しか待っていないのだ。だからどうか沸き暴れるその煩悩を冷やしたまえよ。そうすればきっと燃え盛る炎など涼しげな池に変わるだろうし、そうやって貪欲に沸騰した自分を俯瞰できたなら、やがてまもなく枷は砕かれ牢獄から開放されるだろう。


何をどれだけ手に入れたか
ひとからどう思われたか
外からやってくるものに
幸せなどありはしない
どうか内に湧く源泉を感じよう
他者の評価よりも自分の本質を育めよ
開花させていく孤独な営みを楽しめよ


あるいはたとえ内なる富などなくても
たいした人間ではないというのなら
そんなちっぽけな者がどうなろうとも
そもそも気に病む必要すらないだろう


外よりも内に宿る芽に水をやり続けよ
たとえそれがいまだ種でしかなくとも
いつか花ひらき実をむすぶ
幸せという恵みをもたらすその日まで


とめどなく溢れる欲求。いつまで経っても満足できない人生。この灼熱な牢獄で翻弄するボクらはいったい何をもって幸せとよべるのだろう。

Ω 𒀭𒎏𒄯𒊕 _