Ninhursag Ninḫursaĝ

生きづらさの処方箋

ティ-ヴィ-ドラッグ



Ω 𒀭𒎏𒄯𒊕 _
ティ-ヴィ-ドラッグ Ninhursag Ninḫursaĝ


まるで地球上のすべての排泄物が怒涛のごとく流れこむ巨大な下水道。ここは大量生産大量消費という汚物が跋扈する飽食社会。


ボクたちは、その汚泥の怪物に抗う術もなく流されるがままのドブねずみ。溺死寸前の薄らいでゆく意識のなかで、寿命のカウントダウンを虚しく弾く毎日に、生きる希望という錯覚すらも許されない。


テレビからは世界中の膨大な情報が津波のように襲っては去ってゆく。その破壊的な濁流は大衆を物欲汚染へと奸策し、スピーカーから吐き散らかされた悪辣な詭弁は飽くなきスピン報道を垂れ流す。


この地球で悪さをしている輩は数あれど、とりわけマスメディアというやつは、大衆を心奥からミスリードする陰険奸悪なチンピラ狸だということだ。彼らの存在意義といえば、ダラ幹なボス狸の傀儡のもとに利得集権のヒエラルキーを創りあげること。


大衆の目を逸らせ、差配する地位者に阿り、都合の悪い諸事情に葉っぱを被せてドロンとやる。そのスピンに欺かれたノー天気なボクたちを尻目に、飄々と公の財産を毟り取ってズラかる手口は、これまで散々に使い古された常套な手段である。


抹殺したい対象人物があるとなれば、当人が冤罪であるか否かにかかわらず、疑獄の火種を創り発て、潸々とスキャンダルを煽りながら世間を魔女狩りムードへとを焚きつける。例えばテロとの戦い、〜ゲート事件、独裁者を制裁セヨ などと大衆を捲したてては、合法的な公開リンチで目障りなハエを消し去るのだ。


「いやワタシは騙されません、自分はしっかり者でございますから、ご心配には及びません」誰しもそのように仰ることだろう。しかしそれが逆に危険なのかもしれない。


マジックにはトリックがつきもの。手品師は観客をビックリさせるために、タネや仕掛けを隠すことになっている。そこで観客が目を皿のように凝らしたところで、さっぱり気づかないのは当然であり、むしろそうでなければ手品は成り立たない。そう、相手はその道のプロなのだから。


テレビから流れてくる何気ない映像。ボクたちの目は、それを追いかけてしまう性分から逃れられない。人間には視聴欲があり、メディアはこの視聴欲を巧みに刺激してくるのだ。テレビのスイッチを入れたらもう最後、ボクもアナタもそれを飽きるまで見続けてしまうことだろう。


ニュース、スポーツ、バラエティ、クイズ、音楽、映画…すべてはあなたの本質から意識を逸らすために、巧みに仕立てられた猫ジャラシなのだ。チャンネルを変えてもムダ。定番の番組しか見ていないとしてもムダ。コンセプトが同じならば、この甘いキャンディからボクたちは到底逃がれられない運命なのである。


そもそもヒトには、ひとり一人に特有の性質や能力が備わっているといわれる。その能力を活かしながら、お互いの違いを認め尊重し補い助けあって社会は築かれてゆくとされている。するとそこには理性が働き、嫉みや妬み、蔑視や卑下などの感情は後回しになるもの。


ところがテレビはそれを見事に溶解してしまう。人々は無思考に晒されると判断能力を失い、無防備になってしまう。「幸せはカネの増減で決まるのだ」などと煽動されたボクたちは、贅沢な暮らしが目先の望みであるとばかりに、金持ちほど偉いと錯覚を抱いてしまう。あたかもそれが人生の至極かのようにマインドセットされ、我も我もと一心不乱に崇める熱狂ぶり。


憧れのスターが「お勧め」したグッズは早速明日の職場や学校で話題のヘッドライン。健康番組で一推しの食品は、それを買い求める客でスーパーは異様なお祭り騒ぎ。CMはヘビーローテーションをやめないし、街に繰りだせばコレデモカと言わんばかりの広告が乱舞する。


悪魔が囁く
もっと快適で
もっと便利で
もっとリッチで
もっと もっと もっとー


もうぜったいに貧乏で不便な昔には戻れない。そんな雄叫びをあげて踊り狂う乱痴気な大衆。そしてテレビがダメ押しとばかりに差し込んできたのはゴールデンタイムのニュース番組。人気キャスターから吐き出される一語百毒はネガティブな事件で満載だ。何を隠そうボクたちはそれが大好物なのだった。


そんな大衆の期待に応えるべく、極悪事件や危険細菌があたかも蔓延しているかのようにデフォルメし、メディアはそこに長い時間を割いて馬ノリに煽ってくる。そんなこんなで知らぬ間にマインドセットされたテレビ漬けのヤク中が見事なまでに完成するのだ。


今も世界中で熾っているであろう悲惨な争いの数々。けれども果たしてそれが自分の身に降りかかる確率はどれほどなのだろう。もちろん当事者にしてみれば、このうえもなく辛い出来事であり、その心中を察すれば哀しいことではあるけれど、それを全世界80億の民でご丁寧に共有する行為は、どことなく射るべきマトがズレているのではないだろうか。


事件や事故、経済の動きそのものは事実であったとしても、その情報の選別と放送にかける時間は明らかに偏向的であり、大衆を善からぬ方角へと煽動する意図は露骨さを呈している。


暗いニュースほど注目を集めやすい事実が物語るように、なるほどボクたちはネガティブに反応しやすい生態であることをバッチリと見透かされているわけだ。


さて目下の話題に翻ってみれば、流行性感冒の季節は過去にも毎年のように世間を襲ってきたけれど、流感->薬・注射の構図に利得権益のウマイ果実が鈴生りなのは言を俟たない。


とりわけ昨今は異常なまでのカラ騒ぎぶりで、感染者数の報告や巷の反応を日課のように放送し、あたかも大惨事であるかのごとく不安を煽る手口はマジックショーのそれと何ら変わらない。


もちろん政治家や資本家の輩はそのプロモーターであり、評論家や専門家の類はメディアを媒介して大衆の心理を焚きつけるためのショーマンである。欲の皮が突っ張った興行一座は専ら利権の布石を整えるために夢中なのだ。


昨日も今日も明日も性懲りもなくボクたちはポジティブな話題に軽々と踊らされ、ネガティブな話題にもまた易々と詰められる。つまり大衆とは'情動の群れ'なのだ。


そうは言えども、昨今はテレビの視聴時間が年々と減ってきているようで、マス媒体としてのチカラは急速に弱まりつつある。ボクたちがテレビやマスメディアの依存症状から寛解へと向かっている状況はこのことからも確かなようだ。


それでも依然としてテレビの麻薬性に抗えない人々が圧倒的に多いのもまた事実であり、その習慣を今すぐ変えるにはもう少しだけ時間がかかるのかもしれない。


TVショーは幻覚しか提供しない
なぜなら この世は持ちつ持たれつ
ドウプフィーンドあっての
ドラッグストアなのだから

Ω 𒀭𒎏𒄯𒊕 _