Ninhursag Ninḫursaĝ

生きづらさの処方箋

隷従マシーンのディレマ



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隷従マシーンのディレマ Ninhursag Ninḫursaĝ


すべての命は例外なく逝く
ある日 ある時 突然に
この世に生まれた瞬間から
そのカウントダウンは始まるのだ


この容赦ない執行猶予を背負ったボクたちにとって、寿命が末永く続こうが短く閉じられようが、各々個々に配られた生涯はたった一回分でしかない。いずれにしてもやり直しがきかない貴重な一生涯なのだから、願わくは有意義で安寧に過ごしたいものである。


けれども宇宙の摂理は手厳しい。こちらの都合など お構いなしに最期の審判はくだされるのだ。その容赦ないお告げには誰一人として抗うことは許されないとしても、ただし一生涯にわたって纏わりついてくる'あの厄介者'にだけは遠慮願いたいものである。


「死とはネガティブだ。
 死は悪いことなのだ。
 なるべく死から目を逸らすがよい。
 ほぅら、キャンディをやろう… 」


宇宙の広大さに比べれば人類など限りなく無に等しい。ましてやその命が灯る一生涯など、ほんの瞬きにも満たぬほどに刹那で儚い。だのにヤツときたら、この貴重な時間を横取りしようと企み、舌なめずりをしながらトラップを仕掛けて擦り寄ってくる。


ところがボクたちはこのことを自覚しようともせず、まるで当たり前のように毎日を浪費しているのだ。一律に定められたかのように幼稚園へ行き 学校へ行き 会社へ行く。そこで決められたことを何の疑問もなく無思考に唯々諾々とこなしている。


それでも労働や学業はストレスがたまる。だからショッピングやスポーツ、ゲームや趣味などの'悪魔のキャンディ'で発散したい衝動へと案内されるわけだ。ほんのひとときの余暇をテレビやゲームで潰し、寝て起きてまた明日も同じタスクを踏む繰り返し。こんなことに気を取られて油断していれば、ついつい時間の有限さを忘れてしまい、寿命は瞬く間に喰い潰されてしまうだろう。


しかも驚くべきことに、キャンディを楽しむ行為は「罪」になるという罰ゲームまで課せられる。だからボクたちは労働に費やした時間と引き換えに'カネ'という免罪符を必死に掻き集め、キャンディの有罪宣告を洗ってもらうといった具合に寿命を絡みとられてゆくのである。


人々はこの免罪符を拝み崇め、首輪に繋がれて呼牛呼馬となって卑下し、この惨めな見返りとしてキャンディで癒される。それはさながら'白い粉'欲しさに悪循環から抜け出せぬ中毒者のよう。世界はこんな隷従システムに嵌められながら今日も一日は暮れてゆくのだ。


生涯を懸ける何かを見いだすこともなく、かと言って特別失望しているわけでもない。ただただ粛々と命を消耗させている膨大な数の人々。ボクたちには特別な才能があるわけでもなく、しかし特別に劣っているわけでもない。ただ誰とでも交換可能な平凡な体力と能力があるだけなのだ。


そして当人もそのことを自覚している。だから身分相応の職場に就き、身分相応の悩みを抱え、冒険に乗りだすることもなく、社会に抗うこともしない。人生の理不尽さを考えるわけでもなく、そして特別不幸でもない。こうしてボクたちの脳ミソは、まるで命が永遠に続くかのようなメデタイ錯覚にヤられてしまい、量産された'隷従マシーン'と成り果ててしまう。


大切な時間を空虚な回し車のように消耗させてゆく愚行にも、全く違和感を覚えることを忘れてしまい、ひとしきりに労働へと明け暮れ、遊興に浸ってはガス抜きを繰り返す毎日。こうして寿命はスライサーで切り売りされながら、やがて老いて 病んで 死んでゆくのだ。


労働と引き換えた時間という寿命を悪魔に上納し、ただただ悪魔たちを肥え太らせるだけのために最期の一秒に至るまで奉仕を続ける。こんな具合にまんまと'呑む打つ買う'の誘惑に絡めとられたボクたちは、見事なまでに白痴化し隷奴へと堕落した無機質な汎用マシンなのである。もういまさらこの大隊行進の足を停める術はないだろう。


我々の惨めなことを
慰めてくれるただ一つのものは
気を紛らわすことである
しかしこれこそ
我々の惨めさの最大のものである

〜『パンセ』


もちろん、職にもつかずにただ好きな事だけに没頭して暮らせてゆけたなら、どんなにか幸せなことだろう。けれどもこの世にはそんなウマい都合は提供されていない。'命とカネとの両替'というバカげた社会構造の渦中では、この自問をしている時間さえも奪われてしまう酷い現実しかなのだ。


こんなくだらぬ労働を強いられながらも、こんなに回り道をしながらも、それでもなお追求するだけの価値なんぞ、この人生の何処にあるというのだろう。ならばいっそ自死してしまい、生涯を早々に切り上げて楽になりたいという不埒をきたしたとしても、一義もなく責められたものではないだろう。


ただそれでも、くちびるを噛みしめながらポジティブに仰いでみるならば、ボクたちは底辺を這う汎用ロボットであるがゆえに、上昇余白だけはふんだんに空いているという見方もあるわけで。それを思えば、まんざら悪いばかりの人生でもないという少々乱暴な居直りかたもできる。


この地球に生まれ堕ち、たとえ自分に授かったカードが貧相であったとて、たとえ人生の選択肢が限定されているからとて、どのみち遍く誰しもが限られた寿命であるのなら、せめて自分に配られた割り当て分の幸せだけは味わってから死んでゆきたいものである。


とは言いつつも、キャンディを舐めながら幻想の世界へと逃げ込んで頭を隠し、あわよくば厳しい現実が明日には消え去ってくれるミラクルを密かに期待している最低なクズ野郎には変わらりない。


ボクたち人間という輩はこんなクズだからこそ、理不尽な悪魔は明日もボクたちを丸裸に晒し、腐った心とともに寿命をスライスして盗んでゆくのだ。そうやって人間社会の勝者も敗者も一様にそれぞれが各々の事情に悶えながら、人生という罰ゲームは今日ものっぴきならぬ俗世で執行されているのである。


石橋を叩きながら妥協と忖度で歯軋りをしながら年金を指折りアテにする公務員。AV男優をしながら筋トレに生涯を捧げる初老のボディビルダー。東大法学部を蹴って自由と哲学を愛し今夜も炊き出しに並ぶホームレス。連帯保証人で足を払われマチ金から型に嵌められたソープ嬢。有名料理人として名を馳せるも事業で失敗し借金に溺れるファストフード店員。芸大では主席だったが未だウダツが上がらず貧困に老いゆく交通整理員。家族からバイキン扱いされ上司から罵られ苦笑いでブランコに黄昏れるサラリーマン。


これまでの人生で何も賭けず無感情に生きてきた者。或いは逆に自己嫌悪で気が触れてしまう者。何かに賭けても成功しなかった者。それでもまだ諦めずに続けている者。


どうせここにしか自分の居場所はないとなれば、みんなそれをするしかないのだ。こんなに一生懸命でもまったく報われない。あたりまえなのだ。人生とはその労力に比例して報われないことが自然の摂理なのだから。


シケた公務員でもいいんだ。筋肉バカなサオ師でもいいんだ。哲学にイカれた乞食でもいいんだ。修羅に噛まれたプッシーでもいいんだ。ケツの焦げた料理人でもいいんだ。虚しき頓痴気アーティストでもいいんだ。黄昏の公園サラリーマンでもいいんだ。配られたカードのままやるしかないんだ。


「神よ、なぜにこの仕打ちを与えるのか」そうやって叫びつづけ、辛酸を舐めながら報われない現実を浴び尽くせばいいのだ。それでも尚、この狂った廃墟世界で生存していられるのなら、無思考にナメて生きてきた不埒なボクたちであっても、ようやく命の本質を正面から受けとめられる態度へと導かれてゆくのだろう。


さて、こんなカオスなボクたちは何歳まで生きながらえるのか。そしてその残りの人生で何を成し遂げるのか。家族との食事はあと何回できるのだろう。大切な誰かとのひとときはあと何時間残っているのだろう。四季を愛で風を憂うささやかな潤いはもう何シーズンもないのかもしれない。生きている証をかみしめる幸せと寿命は駆けっこなのだ。


人ひとりが世のため 人のため 自分のためにできることなど、ほんの些細であるかも知れない。けれどもその1ミリすらも成せていないボクたちの不甲斐ない現実が今ここにある。そうやって少しは自戒している自分なのに、それなのにまだこうして涼しい顔で飄々と笑いながらアグラをかいていたりもするのだ。いったいこの矛盾と傲慢さと愚鈍な為体ときたらどうだ。いつになったらそのデカいケツをもたげるのか。恐らく目も当てられぬ救いようもない光景に違いない。


もし万が一にも人生を巻き戻せるとなれは… いやそれでもやはり、可もなく不可もない安直で無責任でヒトゴトな逃げ道へと、またもや人生をナメてかかる気がしてならない。いったいこの腐った心理構造はどうなっているのか。この壊れた木偶は永遠に改心できないのか。ボクたち人間というポンコツな隷従マシーンは、それほどまでにウツケな塵芥であるということだ。


私を殺さないかぎり
私はますます強くなる

ニーチェ


ヤツのキャンディからは逃れられない。

Ω 𒀭𒎏𒄯𒊕 _